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2007.08.14 (Tue)

紡ぐ (前)

皆様、お盆休みを満喫していらっしゃいますか?
私にとっては昔からこの時期はリゾートシーズンではなく
もっぱらお墓参りの祈りの季節なんですが。

いや、てか、この時期に海とか行ってはいかんでしょう。
絶対「水」には近づいてはいけませんよ~(先年夏の記事参照)

てな訳で夏の恒例、不思議なお話シリーズ(超不定期)です…



1945年3月10日、負風著しい戦時中のある日
私の父は東京の自宅で空襲に見舞われた。

と言っても当時の父は生後五ヶ月で、その時のことは全く覚えていない。
だからこの話は父が後から、私の祖父母にあたる両親や
伯父にあたる兄から聞いたものだ。


雨あられのように焼夷弾を落とされたとされる東京大空襲。
記録によると「1メートル四方の地面に爆弾が二個落ちた割合」だそうで
もう、どれほど凄まじい爆撃だったのか
平和な世界を享受しきった私には到底想像しきれない。
爆弾による破壊と火災、そしてその火が風を呼び、気温がどんどん上昇し
熱風で何も無いところから火があがる、そうして家や人が「自然に」燃え上がる。
火事なんて生易しいものじゃない。文字通り地獄の釜のような状況だったと言う。


その中で三男坊の父は、長女である伯母の背に括りつけられて辛くも逃げ回っていた。
私の祖母はなけなしの財産になるものを背負い、
両手に父の兄二人の手を引いて、父を背負った長女とはぐれないようにしながら
まるでガラスを床に叩き落としたような大混乱の中、
町内会で出かけたきり戻らない祖父を必死で探し回ったそうだ。






普通に考えれば、こんな状況で、沢山の鬼気迫った人間の中から
たった一人の家族を探し当てるなんて到底無理だと思うだろう。


けれど―――――見つけた。





隅田川をまたぐ橋の真ん中で、
父を含む祖母一行は
反対側の川岸から走ってきた、同じく家族を探していた祖父と
「ばったり」出くわしたのだ。

それはもう疑いようが無い「奇跡」だった。



祖父と合流し家族全員が揃った一行は、こうしてどうにか空襲を逃げ切った。
「合流できなければ臨時で避難しよう」と祖母一行が考えていた場所は
後から知った事だが、建物も人も一緒くたに燃え尽きてしまっていたと言う。




あの時の家族の半分は既に鬼籍に入ってしまっているけれど
まだ生きている父や、伯父や伯母、そして私や従姉たちが
かの奇跡の恩恵を受けてここにこうして生きている。






こんな風に私たちは、普通ならありえない「奇跡」に出くわす事がたまにある。
それは時に偶然として片付けてしまえるほど小さいものだけれど
「あの時こうでなかったら今の自分はいない」とか
「何かの導きか、辛くもどうにかここまで来れた」とか言うものが
多分きっと、生きている者すべてに起こっているはず。

ならば「誰」が導いているのか。





先月、私はその問いの核心に近づくような体験をした。














【More】









今年の1月、長い読者様にとってはご存知の通りだが
私は長男を帝王切開で出産した。

帝王切開の理由は「全前置胎盤」。
胎盤が産道を塞ぐ形でできており、このままでは産まれる前に大出血して
母子共に無事では済まない状態だった。
これが100年前だったら、前置胎盤と気付かれぬまま早くに出血するか
あるいは臨月までどうにか保ったとしても、やはり分娩できずに
私と息子の命はそこで終わっていただろう。

今の医療があったからこそ、私と息子はここにこうして生きている。

しかしながら今の医療をしても、実際のところ前置胎盤の症状は
産み月である10ヶ月になるまでは全く油断が出来ない。
安定期なのに安定期じゃない、いつ何時何が起こるか分からないまま
ほぼ自宅でじっとしている生活が何ヶ月か続いた。
出かけるにしてもオットの車で移動し、細心の注意を払って歩く。
家の中でも、風呂ですべらないように、大きなお腹をどこかにぶつけないように
いつも気をつかっていた。




そうしてどうにか36週も終わりに近づき
「良く頑張りましたね。もう大丈夫、何があっても対処できます」
との担当医のお墨付きを頂いて、予定通り入院し分娩に至ったのである。

そんな出産騒動の最後に、こんな体験をした。










帝王切開の直後、麻酔でまだ背中から下の感覚が無いまま手術室から病室に入り
家族が帰宅してしまったので、一人で下半身の麻痺をやり過ごしていた午後。




浅い眠りの中で、切れ切れに夢を見た。






大勢の人が見舞いに来てくれる夢だった。

一度に大勢、という訳ではない。

一人だったりご夫婦でいらしたり、あるいは数人の団体で来てくれたり。

とにかくグループごとに、ひっきりなしに病室の私に会いにきてくれる夢だった。






ところが、見舞い客の面々は誰かと言うと、全然知らない人たち。

見知らぬ人なのに、皆一様に「おめでとう、良かったわね」とか「頑張ったね」と
病院のベッドで横になる私の傍らで穏やかに声をかけてくれていた。



そして私はそれにどう答えていたかというと、

知らない人たちなのに、全然普通に「ありがとうございます」と返答し

更に一言、グループごとに同じ言葉をかけ続けていたのだった。

(どんな言葉かと言うと、それはまた後で)







そしてその「お見舞いご一行様」の中ほどの順番に。


あの人は現れた。


見知らぬ人々の中でただ一人、私がとても良く知っている人物。












去年の三月に亡くなったはずのオットの義祖母が、
微笑を湛えて私のベッドの脇に佇んでいたのである。


長くなったので後半へ続きます

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*^-^*

はじめまして!!
お勧めウェブサイト:
http://www.bbbcc.net/?xia
ご覧ください。
美智子 |  2007.08.16(Thu) 17:08 |  URL |  【コメント編集】

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